野口ジムの歴史

1927年(昭和2年) 野口ボクシングジム創始者、野口進、第2代・第3代大日本拳ウェルター級チャンピオンとなる。
1928年(昭和3年) 野口進、第4代・第7代大日本拳ウェルター級チャンピオンとなる。
1934年(昭和9年) 長男、野口修、誕生。後に彼は日本キックボクシングの創始者として沢村忠を育成。TBSテレビのゴールデンタイムにキックボクシングの番組を持つなど一大ブームを巻き起こした。
1935年(昭和10年) 野口進、引退。戦績56戦35勝(9KO)7敗14分。
1939年(昭和14年) 6月14日、後の2代目会長、野口恭、次男として誕生。
1950年(昭和25年) 初代会長、野口進により目黒区にて野口ボクシングジム創立。
現在の三迫ジム会長、三迫仁志がプロデビュー。
1955年(昭和30年) 野口恭、17歳になった直後にフライ級でプロデビュー。さすが古き時代、フライ級といっても体重は現在のミニマム級のウエイトにて3RKO勝ちをおさめる。
同年、三迫仁志、第2代日本フライ級チャンピオンとなり、その上、第2代東洋大平洋フライ級チャンピオンとなる。
1956年(昭和31年) 三迫仁志、第4代東洋大平洋フライ級チャンピオンとなる。
1957年(昭和32年) 野口恭、日本ベビーボクシング育成会を発足。
小学生から中学生を対象にボクシングを指導。
第1回めの試合は日比谷音楽堂にて約二千人の観衆の中、子供同士によるボクシングの試合がとり行われる。当時日本を始め、米国、英国もテレビ・新聞で話題になる。この中から後に、優秀な選手が育つ。
イーグル佐藤・昭和39年オリンピック代表、世界ライト級6位獲得、高山将孝・現在オークラジム会長、西城正三等がその代表。
ベビーボクシング育成会は昭和39年まで続く。

1958年(昭和33年) 三迫仁志、現役引退。戦績51勝30勝(4KO)13敗3分5EX。
1961年(昭和36年) 野口恭、第12代日本フライ級チャンピオンとなる。1962年までで防衛記録1回。
同年、初代会長野口進、脳溢血で死去。この後は妻の里野が後を引き継ぐ。
永田耕造、第15代日本バンタム級チャンピオンとなる。1963年までで防衛記録1回。

1962年(昭和37年) 野口恭、初の世界タイトル挑戦。ポーン・キングピッチ(タイ)に判定で破れる。
1963年(昭和38年) 5月30日、野口恭、美子と結婚(目黒雅叙園にて挙式)
野口恭、現役引退。戦績52戦36勝(7KO)9敗5分2EX。
1964年(昭和39年) 11月21日、長女、詩延が誕生。後にジムマネージャーとして野口ジム選手育成にあたる。
1966年(昭和41年) 染谷彰久、第15代日本ライト級チャンピオンとなる。1969年までで防衛記録4回。
1967年(昭和42年) 11月18日、長男、勝が誕生。後に3代目ジム会長となる。
1969年(昭和44年) 龍反町、第24代日本ウェルター級チャンピオンとなる。1970年までで防衛記録4回。
1970年(昭和45年) 龍反町、第11代東洋大平洋ウェルター級チャンピオンとなる。1979年までで防衛記録11回。
1970年(昭和46年) 長男、野口修。後に彼は日本キックボクシングの創始者として沢村忠を育成。TBSテレビのゴールデンタイムにキックボクシングの番組を持つなど一大ブームを巻き起こした。
1971年(昭和46年) イーグル佐藤、第5代日本スーパーライト級チャンピオンとなる。1972年までで防衛記録1回。
1972年(昭和47年) 2代目会長として、野口恭がジム会長となる。
黒沢元三、第27代日本バンタム級チャンピオンとなる。1973年までで防衛記録1回。
1973年(昭和48年) 柏葉守人、第11代日本スーパーフェザー級チャンピオンとなる。1973年中、防衛記録0回。
龍反町、世界スーパーウェルター級タイトルマッチ初挑戦。輪島功一に判定で破れる。
柏葉守人、世界スーパーフェザー級タイトルマッチ初挑戦。リカルド・アルバラード(米国)に7RKOで破れる。
1975年(昭和50年) ビッグ山龍、第20代日本ライト級チャンピオンとなる。1975年中、防衛記録0回。
柏葉守人、第21代東洋大平洋ライト級チャンピオンとなる。1976年までで防衛記録0回。
1976年(昭和77年) 柏葉守人、世界スーパーフェザー級タイトルマッチ再度挑戦。ベン・ビラフロア(比国)に13RKOで破れる。
1977年(昭和52年) 畠山昇、第8代日本スーパーライト級チャンピオンとなる。1979年までで防衛記録3回。
1978年(昭和53年) 龍反町、世界ウェルター級タイトルマッチ3度めの挑戦。カルロス・パルミノ(メキシコ)に7RKOで破れる。
1979年(昭和54年) 龍反町、現役引退。戦績73戦57勝(32KO)12敗4分。
野口ジム三階建てビルに新築する。
1980年(昭和55年) 畠山昇、第12代日本スーパーライト級チャンピオンとなる。1981年までで防衛記録0回
1988年(昭和63年) 5月16日、長男、野口勝プロデビュー。判定勝ちをおさめる。
1990年(平成2年) 野口まさる、網膜剥離のため現役引退。戦績5戦3勝(1KO)2敗。その後は、マネージャーとして選手育成にあたる。
1993年(平成5年) 5月6日、鈴木誠プロデビュー。結果は1RKO負け。
1995年(平成7年) 野口ジム移転。目黒から足立区北千住へ移る。ジムの内装は長男、長女によるもの。NYを思わせるようなHIP HOP調のデザイン。リングは試合用とほぼ同サイズであることが特徴。
1999年(平成11年) 吉野弘幸、ワタナベジムから野口ジムへ移籍。野口まさるによる、初の単独興行Mega Fightを3月24日、吉野弘幸復帰第一戦として行う。タタ・レガトゥナ(比国)に1RKO勝ち。
18年振りに野口ボクシングジムより日本チャンピオン誕生!
6月29日、鈴木誠、岡五男(ワタナベ)を10RKOで下し、 第14代日本ミニマム級チャンピオンとなる。2001年までで防衛記録3回。
2000年(平成12年) 野口ボクシングジム創立50周年の年。
3代め会長として、野口勝が就任。
11月15日帝国ホテルにて創立50周年記念会長就任式を行う。
2月9日、長女、詩延が第14代日本ミニマム級チャンピオン・鈴木誠と入籍。
4月3日、長女、詩延が女性としては初のチーフセコンドとしてウェルター級・伊佐次茂伸デビュー戦でリングに立つ。結果は3RKO勝ち。この試合はウイニング賞受賞。
9月11日、吉野弘幸、河合丈矢(Oカワイ)を判定で下し、 第25代日本スーパーウェルター級チャンピオンとなる。
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